ある日会社に行けなくなった俺

俺はある日を境に外に出ることができなくなった。
それはいつもどおり会社に出かけようと重い足取りで2階の自室から
1階へ下りていった朝だった。その日は目覚めた瞬間から身体がダルかった。
朝食を食べて重い足をひきずりながら玄関へ行き、靴を履いていると
今度は突然津波のような不安が押し寄せてきた。
む、胸が苦しい…、ま、前が見えない…。
冷たい汗が脇の下から流れて落ちたのを感じる。
そしてそのまま玄関に崩れ落ちた。
異変を感じた母親が慌てて掛けより、抱きかかえるようにして
俺を自室に連れて行った。まるで安全なシェルターに匿うように。
そして職場には母親が電話を入れた。

その日をきっかけに俺は、風呂とトイレ以外は1日中自分の部屋に籠もるようになった。食事は毎日母親がドアの前に置いていくようになったんだ。

あ、念のため言っておく。
一人称は俺だけど、ホントの俺は女です。

やがて部屋に籠もりっぱなしの日々が3ヵ月を過ぎた。
会社はとりあえず「休職」ということになったらしい。
だが、たぶんもう2度とあの職場へ行くことはないだろう。
母親がドア越しに伝えてくるあれこれを、俺は遠い国の出来事のように
聞いていた。時にはたしなめるように、腫れ物にさわるように、
母親は来る日も来る日もドアの前に食事を置いていった。
俺はこんな惨めな状態にある自分を自分だと認めたくなかった。
だから俺はこの部屋に籠城する自分のことを「レイモン」と名付けた。
俺はある組織から命を狙われているのだ…と仮定した。
だから俺は朝から晩までこの6畳の部屋で、そっと息を潜めている以外に
生き抜く手段はないんだ…。
そして、普通に外へ出て暮らしていけない自分をいつも責めていた。
俺は一生ここから出られない。ダメな人間なんだ…
俺は親を恨み、世間を恨み、社会を恨んだ。それと同時にいつも心の奥底で
こんな俺で申し訳ない…という思いから離れられなかった。

俺は一日中、本とインターネットを眺めて暮らしていた。
運動量も少ないが食べる量も少ないので、結果的に少しずつ痩せていった。
俺はこのまま、この部屋で朽ち果てていくのだろうか?
ここにいれば何者も俺に危害を加えることはできない。
俺はここに居さえすれば確かに安全だった。
だが同時にかつて女として生きていたはずの自分が
内側から崩壊しかけていく恐怖も感じていた。

その安心感と恐怖感のバランスは、いつも俺の中でせめぎ合っていた。